ちくわ日記

自分の人生を楽しむために

11月の家計の話

食費 2万3494円

ゴミ屋敷で長年放置され腐っていた調味料たちを、また買い揃えたので高くなってしまたと思う。外食は3回(寿司・デニーズ・タリーズ。どれも千円ほど)であとは自炊。案外楽だったので、12月もこの調子でいきたいな。予算は1万3千円。

 

家賃 7万

通信費 1万4700円

その他もろもろ合わせて総支出 12万4300円

 

遊ぶ暇もないくらいに仕事していたので必要な分しか減らなかった。

映画館にも、カフェにも全く行ってない。

家の居心地が良くなると、こうも支出が減るのか…。

これなら貯金の目標が、わりと楽に達成できそうではある。

 

そして、遊ぶ暇もないほど仕事ができるくらい、

心身共に元気になれたんだなぁと思った。

ダブルワークをしていて、本業はフルで週5。副業は平日1~2日と週末。

がんばったおかげで今月はちょっと余裕のある生活が送れそうである。

 

からだに優しい食事と、睡眠。これらがいかに大切であるかを知った1か月だった。

常に気にかけていないといけない。なんとなく忘れてしまうとそこから崩れていく。

崩れていく最中は、「まだまだ大丈夫」と思うが、気付いた時には遅い。

立て直すことはかなり難しい段階でやっと気づくことが出来る。

 

ただ働き過ぎで、人からの誘いが煩わしくなり断ることが多々あったのは申し訳なかったかな。だって一人が楽だもん。身体を休めたいんだもーん。

 

 

がんばりましょう。

 

フルで働いて1か月

もうすぐ1か月。

 

仕事はひたすらパソコンぽちぽち。一緒に働く方々も女子ばかりで毎日楽しい。そして毎日お弁当を持っていけている。だいたい毎週日曜日にお弁当のおかずを4種類ほど作り置き。朝は冷凍ご飯をチンしておかずを詰めて終了。朝も夜も、だいたい作り置きのおかずを食べるか、軽く調理するかで自宅での食事が楽しみになった。今月の外食はデニーズでパンケーキ、ラーメン、お寿司の3回だけ。義務感や頑張っている感じはなく、料理がストレス発散になっている。

 

食費はかなり下がったが、外食に対しての罪悪感がものすごく強くなってしまった。カフェで読書をするのが好きだったがそれすらも怖くなり、興味があって買った文庫本が積みあがったままである。どうしよう。家では読む気がしない。

 

今年の年末年始は普通に帰省する予定。

母は気まずい気持ちになるだろうか。私は勝手にスッキリしているが。

年末に実家に届くようにビールを箱で手配しよう。

お酒も飲むかな?

 

初めて年越しが楽しみである。

 

部屋作り

部屋の大掃除をした。ほぼゴミ屋敷だった部屋をスッキリ綺麗にした。すると、心も掃除された(陳腐)ようで、起きた瞬間から爽快感でいっぱい。昼夜逆転していた生活は規則正しくなり、自炊も再び始めたおかげで少し痩せたし、肌色が良い気がする。

 

来週からは新しい仕事も始まるので、お弁当を作って持って行きたいな。なんせこれから年末までは、「貯金」が目標になるので。自炊はやっぱり節約には一番いい。

 

そうは言っても、このゴミ屋敷を綺麗にして分かったことは、この部屋には収納が少なすぎるということだった。なので、収納用品を買わなければ理想の部屋にはならない。貯金をしながら、理想の部屋作りをしたい。もうゴミ屋敷にしないためにも…。

 

狭いワンルームの部屋なので、隙間を有効活用していかなければならない。色々調べるとたくさんの隙間収納に適したものが売っている。まずミニキッチンのIH辺りに設置できるラックを買うこと。もともと料理は好きだったから、たくさんのキッチン用品やスパイスが転がっている。そして玄関辺りにも収納が欲しい。

 

また、リビングをもっと寛げる部屋にするべく、1シータソファが欲しい。狭い部屋にソファを置くのはどうかと思うが、ラグを引いていても座布団の上に座っても、フリーリングは寒い感じがする。あと普通に足とお尻が痛い。ゆったりと座って映画鑑賞がしたい。

 

お洒落な布団カバーもほしい。現在剥き出しの羽毛布団で寝ている。冬でも汗っかきだからフワモコの寝具ではなく、普通の綿カバーでいいや。

 

お洒落じゃなくていいから、ひとりでのんびりできる部屋にしたいな~。

もう充分のんびりしてるけど。

 

自分を好きになるために

まずやること

①部屋の掃除

②身体を引き締める

 

 

①の部屋の掃除については、荒れくさった心を表すかのように、部屋も荒れているため、新しい仕事がスタートするまでに、きれいにしたい。

 

②の身体を引き締めることについては、体重を落としたいとかダイエットしたいとかではなく、健康で綺麗な身体を手に入れたいという目的が大きい。

筋トレ(スクワット2~3種、腹筋5種、尻トレ3種、二の腕4種、背筋2種)これらを、今までは気が向いたときにラジオを聞きながらテレビを見ながらやっていた。しかしきちんと筋肉に向き合って集中しないと意味がないことに気が付いたため、これらを週4~5日、きっちりと集中して丁寧にやることにする。

 

最近サボっていた肋骨締めも再開する。温かい水分を2L 摂取する。

できることから日常生活に組み込んで、無理なく目標を目指したい。

 

ちなみに食生活は、朝は食べたり食べなかったり、昼は食べたいものを食べて、夜はトレーニングをするため、トレーニング1時間前ぐらいにプロテインを飲み、焼き魚を食べる生活。焼き魚のおいしさに気が付いてしまった。朝の、「食べなきゃいけない感」がしんどい。トマトやキウイなど、丸かじりできるものを時々食べるが、キウイは紫外線を吸収してしまう効果があるらしく、夜向きの食べ物であるそうだ。納豆卵かけご飯でいいかなぁ。たまに面倒だとプロテイン飲んでる時もあるけど。

 

ところで、プロテイン摂取の効果的なタイミングについて、かなりみんな主張することが違っていて、何が正解なのか本当に分からない。寝る前と朝が良いという人もいるし、トレーニング後やトレーニング前が良いという人もいる。結局いつがいいの?いつでもいいの??目的によっても違うんだろうけど!

 

マイペースに、負担に感じない程度に楽しんでがんばろう。

 

 

母娘関係についてのカウンセリング

母娘関係のカウンセリングを行っている方を見つけて、連絡を取ってみた。カウンセリング以外にも、講座やワークショップも行っているらしく、少人数で問題について話し合ったりするというものらしい。いきなり二人きりで話すのもカウンセラーとの相性もあるだろうしと思い、まずはワークショップに参加しようと決めた。議題は、ちょうど悩んでいた、理不尽な母への怒りの感情コントロールについてだった。

 

綺麗なレンタルオフィスで、参加者は私を含め5名。

初参加は私だけだった。

頭の中を整理するために記事にしようと思う。

 

怒りを観察する

まず、母に対する怒りを細やかに観察・分類する。

今の母への怒りなのか、過去の記憶からの怒りなのか。今の母への怒りは、過去の事を覚えておらず、私がどれだけ傷付いていたか全く知る由もない母がいまさら優しくしてくることへの怒り。過去の記憶については諦めの気持ちが強い。

 

負のループについて考える。

怒りの感情をコントロールする方法として、お酒やスポーツ・今を楽しむ力に変えるという人たちがいたが、私は特別な方法はない。しいて言えば、可哀想な自分を思い、また無神経な母を呪い、泣いて発散させることだ。しかし離れて暮らすようになり、年に1回お正月にしか顔を合わせなくなってから頻度は減った。

 

怒り→泣く→寝る→どうでもよくなる→母との関係を良くしようと努力する→空回り→母の自分勝手でデリカシーのない言動に怒り→泣く(以下ループ)

 

怒りのトリガーとして、私は母と直接接することで再燃する。しかし、母に直接怒りをぶつけたことはほぼない。いつも一人になったときに涙が出る。母の機嫌を損ねることを私は恐れ、何倍になって返ってくるか分からない恐怖があるため。

 

母は基本的にあらゆることを人任せにして、あとでそれが行き詰まったり上手くいかなくなった時に責めたてる癖がある。励ましたり、大丈夫だよと安心を与えることを一切しない。そういう性格なのだと最近では諦めもついたが、子供の頃は失敗する人間をバカにするような態度の母が大嫌いで、私は失敗することを恐れるようになった。そして何かに挑戦したり免許や試験を受けるときはいつも、事後報告するようになった。

 

なんの解決策も考えず意見もしないくせに批判ばかりするので、私はそんな母を見るたびこんな思いやりのない人間いるんだなぁとしみじみ軽蔑する。そう、最近は怒りよりは「軽蔑」の感情が大きいかもしれない。私が母の無神経さに怒りを感じたとき、それをコントロールする方法として軽蔑するようになっているのもかもしれない。

 

 

怒りを解消するには

復讐?報いを受けるべき?謝罪があれば怒りが消える?

 

これに対して私は意見を述べた。まさしく数日前に母に謝罪を要求していたから。きっかけは私をいじめていた人たちから同窓会開催についての手紙が実家に届いたことによるが、それがなくても心のどこかで謝ってほしいという気持ちは常にあったと思う。ただ、言葉で謝られたとしても、これまで受け続けていた心の傷は癒えることはないということも、きっと心のどこかで分かっていたと思う。それでも、謝罪の言葉が聞けたら、なにかが変わるのではないかと期待していた。ちなみに母は、私が過去に母から受けた言動で傷付いたと主張しても、覚えてないと返事するのみで、私から要求しなければ自ら謝ることは決してなかった。

 

結果的に、謝られても怒りが治まることはなく、余計にイライラするだけだった。そのイライラの正体は、自分自身にである。「分かっていたことなのに、今更無理なのに、半ば強制的に謝らせて何が変わった?この歳になっても期待して、バカみたい。」完全に八つ当たりである。

 

この経験から、私は、私自身が変わるしかないのだと思い知ることが出来た。

 

 

怒りから自分を解放するには

過去に母からの言動の記憶を捉えなおす?

→難しい。

怒りに執着している自分を見つめなおす?

→可能。

慈悲の瞑想は効果があるのか?

→ありそうな気もする

 

怒りのエネルギーをプラスに変換する力を身に付けることも必要である。

参加者の中には、子育てでそれを発揮しているという方がいた。母からの言動を反面教師に、そして自分がされたかったことを子供に愛情表現する。その方はとてもパワフル・前向き・強さと優しさを持った方で、かっこいいなと思った。私にも子供がいればぜひそうしたい、が生憎まだ独身だし、結婚に興味がないので別の事でエネルギーに変換するしかない。これは難しい課題だ。

 

 

私の目標・課題

①母と自分の人生を切り離す

母の怒りや悲しみ、批判や否定、それらは私の人生になにひとつ関係ないと知ること。私自身が人生を楽しむことに後ろめたい気持ちを感じる必要がないこと。やりたいことはやる、行きたいところに行く。やりたいし行きたいから、それでいい。過去に囚われることなく、今現在を生きることが目標。

 

②母に期待しないこと

これまで無理だったとしても、この先愛してくれるのでは?という期待を一切やめる。母は私が生まれたときから現在まで、どの瞬間もずっと愛し続けていたと思っているに違いないが、私自身は死にたいほど辛かった事実があるということを忘れる必要はない。いくら過去と現在の母の態度の違いで煩わしく思うことがあっても、いちいち過去のことを引きずり出さない。過去と現在の母は別の人間だと思うこと。そうすることで、今の母への怒りだとした、【過去の事を覚えておらず、私がどれだけ傷付いていたか全く知る由もない母がいまさら優しくしてくることへの怒り】が収まる気がする。

 

③母の機嫌を伺うことをやめる(難しすぎる)

どうやって?そもそも機嫌を伺うことはもう本能としてサバンナで命を懸けて生きる動物かのようにアンテナが備わってしまっている。母の負の感情を読み取るスピードは超素早く、空気を読み喋った方がいいのか黙った方がいいのか瞬時に考える。母の機嫌が悪いと、家全体が腐ったように暗く重くなるから、車の中の空気が痛いほど冷たくなるからそうしてしまう。しかし、機嫌を伺って気疲れするのはもうしんどい気持ちもあるので、なんとなくやめてみよう。難しいな~~~~

 

 

講座が終わったあと他の参加者さんたちとランチした。

みなさん温かく優しい方ばかりで、とても心地良かった。

たくさんお話しできて、楽しい時間が過ごせて幸せだった。

 

みなさんのお話を聞きながら、自分の意見も考えつつ

そして見られながら話すということは最初は少し緊張してしまったが、

共感してくださったりフォローしてくださったりしてありがたかった。

 

そして、先生がとても寄り添ってお話ししてくださる聡明な方で

カウンセラーの方とお会いするのは初めてだったけど、

初回からこんな方と出会えてなんて運が良い、幸せだなと思った。

 

また興味ある講座があればぜひ参加しよう。

今回の講座で、かなり自分の頭の中が整理された感もあり、

カウンセリングはちょっとまた煮詰まった時にお願いしようと思った。

ありがとうございました。

 

 

母との関係が絶望的悪さ

タイトルの通り。

周りには、母娘で海外旅行に行く知り合いなんてのもいる。私は母と二人では旅行どころか、食事に行ったり買い物やお茶すら絶望的に厳しい。父や兄弟がいて、「3人で」なら可能。

 

高校卒業後、実家を出てカフェでアルバイトしていた時、たまに休日のスタッフが母娘でカフェへお茶しに来る場面に遭遇していた。ショッピングをしたあと、カフェで休憩。よくある光景。一緒にケーキセットを注文し、仲良く談笑しながら食べている光景を見て、羨ましくもあり妬ましくもあった。そんなドラマのようなことがあるのかと驚きつつ。

 

私は現在30歳で、実家から約500km離れたところに住んでいる。普段から連絡は全くといっていいほど取らない。母に限らず家族全員そうである。実家のある村は超田舎で、世間体、ご近所付き合い、村の行事など、都会に暮らす人々が田舎暮らしにあこがれる様子を見ると「やめときな」と肩を叩いて言ってあげたくなるほど、窮屈な世界である。

 

母は、私が小さなころは優しい母だった。ミシンで洋服を作ってくれて料理もお菓子作りも得意な自慢のお母さんだった。母の様子がおかしくなったのは、私が小学3年生の頃。心中未遂させられそうになった。知らない山奥のダムや湖に車で連れていかれ、「おかあさん、もう死にたい」と言って泣き続ける母のそばで、私も泣いていた。子供ながらに嫌な予感がしたのか、「死なないで」と言って泣きながらも(えっ、私死ぬの?いやむりむりむり)と思い、必死で母を慰めていた。

 

突発的にキレて、私にだけ理不尽に怒鳴り散らす。理解不能な言葉を吐き捨て、殴られこそしないものの、殴りかかってくるような勢いで詰め寄って来ては拳を高く振りかざす。私が「ごめんなさい」と言うと、気が済んだのか去って行く。一体私が何をしたのか、謝らなければならないことなど何ひとつしていないように思うが、とにかく私の存在が母のストレスだったのであろう。私はかなり幼い頃から、心を殺す術を身に付けていた。そうでなければ耐えられなかった。

 

母の機嫌を取る方法は、まず一番に家事を手伝うことである。洗濯・お風呂掃除と入浴の準備、夕食の手伝い。あたかもやりたいことであるかのように、率先して行っていた。小学校5年生の時、家庭訪問があった。自宅に来た担任を、私はエプロン姿で迎え入れた。担任は母に、「お手伝いして偉いですね」と社交辞令で言ったが、母は即座に「姉よりポイント稼ぎたいんでしょうね」と言い放った。なんのポイント?もしポイント制で欲しいもの買ってもらえるとかだったら頑張るけど、あんたの機嫌取るためなんですけど…。馬鹿にされていると思い、翌日から自発的に家事を手伝うのをやめた。

 

小学生の頃、私はよく学校で熱を出していたが、そうなると親に連絡して、学校に迎えに来てもらわないと家に帰れなかったので、できるだけ1日に怒鳴られる回数を少なくしたい私は、保健の先生に「絶対1時間寝てれば治るから」と頼みこみ、ベッドで寝かせてもらっていた。熱が出て辛いけど、母は仕事を早退して帰ってこなければならないため、めちゃめちゃにキレられる。往復ビンタの刑なのである。

 

中学生の頃は母に無視されていた。ずっとではないが、ほぼシカトだった。同じ時期に、私は学校でも一部の人間に無視されるようになる。不良に憧れるイキった女たちからリンチされたこともある。幸い、同じ部活内の友達に恵まれていたため、クラスで無視されようがどうでも良かったが、部活を引退してからはその支えも失い、精神的に辛い状況となり、ついに母と父に「いじめられてるから…学校に行きたくない」と勇気を出して言った。距離で言うと20㎝の近さではっきりと伝えたのだが、これもまるっきり無視されて終わった。聞こえていないと思って再度話しかけると、舌打ちして睨まれたので静かに泣きながら自室に戻った。ちなみに母の隣にいた父も無視だった。父についてはそんな状態の母が恐ろしくて無視したのだと思うが、こんな親ってね、いるんですよ。もしこれを読んでいるいじめられっ子の親は、もし子供がSOSを出したら守ってあげてくださいよ。

 

 

進路相談も、同じテーブルで夕食を食べている最中にしようとすると、舌打ちandため息and無視。「進路アンケート、「チッッ!!!!ハァァーー」」 そして意味不明の言語で罵ってくるので全く話し合いにならず。ちなみに父も母の隣にいるが特に何も発言しない。空気が完全に最悪なので早くこの場から消えたいと、夕食を勢いよくかき込んでいそいそと自室に戻り、少々偏差値の高い高校の名前を進路アンケートに記入したのであった。早食いの癖はこのころ身に付いた。

 

そして後日、その進路アンケートを元に三者面談が行われたが、私の進路確認を担任がすると、母は「そんなの聞いてません。」と宣う。「うちの子は頭が悪いので無理だと思います。近くのB高校にしてください。」しかし、私はその三者面談に向けて本気で勉強に打ち込み、テストの順位を爆上げしていたため、担任は私の味方になり母をその場で説得してくれた。受験にも無事合格したのだが、合格を報告しても母と父は「おめでとう」の一言もなく、ため息を吐くだけだった。なぜ?別に私立でもないし、お前らが行くわけでもないんだけど。ちなみに姉が一人いるが、姉が同じ高校に合格した時はごちそうと、「祝」と書いたケーキを作り、お祭り騒ぎだった。親が喜ぶ姿が目に焼き付いていたから、私の時もきっと喜んでくれるだろうと思っていたけど、別にどうでもよかったらしい。親の心理が本気で謎なんですけど誰か教えてください。

 

高校に入ると、課題とアルバイトで忙しくなった。通い始めた高校は、かなり早い段階から進路希望調査が行われた。最初は就職希望にしていた私も、友人の進学話を聞いていると自分ももっと勉強してみたい気持ちになった。なにより「一人暮らし」に憧れた。そう思って親に相談しようとすると、またもや無視。私は初めてのお給料を持って、家出した。ひとりストライキだ。学校にもアルバイト先にもめちゃくちゃ迷惑かけたが、誰にも本当の理由は話せなかった。話しても理解されないと分かりきっていた。

 

こんな親とは二度と一緒に暮らしたくないと、ますます一人暮らしを考えるようになり、半ば無理やり実家を出た。ストレスの捌け口を失ったためか、やたらと優しさをアピールして「帰って来てほしい」と訴えてくることが時々ありウンザリであった。求めていないのに押し付けが強く、拒否すると発狂する母。あの頃は、実家を出たといってもまだ同じ県内に住んでおり、物理的には多少距離ができたがそこまで離れてもいないため、週末は両親が私の働く飲食店や家に来ては、畑でとれた野菜や作り置きのおかずを手渡し去って行く。私は母がいつ発狂して怒鳴りだすか分からなかったので、目の前に現れると常に不安で辛かった。

 

しかし、だんだん母は丸くなっていく。父と3人で出かけたりそれなりに距離を保って関わることができるようになった。母も、子供がどちらも自立して精神的に余裕が生まれたのか、音楽を聴いたりライブに行ったり趣味を見つけて楽しそうに過ごしているらしかった。

 

音楽は、私も好きだったから、姉と3人で一緒にライブに行ったことがある。3人で31アイスを食べているとき、(これって、傍から見たら仲良し母娘なのでは?)と思った。ドラマの中だけの世界だと思っていた、母娘で食事してお茶、そしてライブまで一緒に行くなんて、夢にまで見た仲良し母娘じゃん!と思った。そうか、これを維持すればいいんだな、維持するにはまだまだ母の機嫌を損ねないように気を遣うと同時に、私もあの頃受けた仕打ちを忘れていけばいいんだな、よし、と思った。

 

そして同じ県内でしばらく暮らしたあと、私は転職で500km離れた土地に移り住んだ。すぐには会えない距離、それでよかった。追いかけてきて、母親ぶって世話を焼きにくることはなくなった。それでよかった。

 

しかし私はどんどん苦しくなる。私を苦しめていたあの頃のことが全くなかったかのように馴れ馴れしくなる母に、どう対応していいか分からないのである。帰省して一緒にテレビで旅番組を見ているとき、母が「いいなぁ~。あんなところ行ってみたい!ちくわちゃん、連れてって!」などと言い出したとき、私は「一人で行けば?」と冷たく返してしまったことがある。瞬時に(間違えた!)と思った。母と同じテンションで「そうだね~」と適当にリアクションしていればよかったのに。母は若干寂しそうな顔をしていたが、私はイライラしていた。私が大人になるにつれ、当然のように私を頼ったり、お願いをしてくる母に心底うんざりしていた。陽気に話し、めちゃくちゃ人生楽しそうな姿を見るとイライラしてしまう。私はずっと苦しく辛かった。話したいこと、相談したいこと、頼りたいとき、たくさんあったのにお前は私を無視して睨みつけて舌打ちして追い払った。常にお前の空気を読み、機嫌を取り、自分に怒りが向かないように必死で私は私を守っていた。そのことを私は忘れられない。それでも、表面上は仲良し母娘を演じようとしていた。

 

昨年、母が一人で私の住む街にやってきた。好きな歌手のライブがあり、ついでに私と観光がしたいと言って。2日間、母と観光した。怒鳴るかな、機嫌が悪くなったら嫌だなと思いながら。私はその当時鬱病を患っており療養生活を送っていたため、かなり体力が落ちていたのだが、母はパワフルで常に元気、私の方が歩き疲れてテンションが下がってしまったりした。総合的にはかなり楽しく過ごせた。母が楽しい時間が過ごせるよう最大限努力した。私が夢見た仲良し母娘になれたな、と思った瞬間だった。これなら、母が行きたがっていた台湾にも母娘で行けるかもしれないと思った。

 

先日、実家に中学校の同窓会の手紙が届いたと母から連絡があった。嬉しそうな絵文字付きのメッセージ。幹事を聞いた瞬間、私は爆発してしまった。当時私をリンチしていた女たちからだったからだ。「いじめられてたのに行くわけないじゃん」と返事すると、「なんで?知らなかった」と母は言う。今度は私が発狂する。知らなかった?なんで?「当時相談したじゃん」と私が返すと、まさかの「覚えてない」という一言が返ってきた。呆れた。

 

「なんで覚えてないの?お母さん私のことずっと無視してたからちゃんと聞いてなったの??子供が助けを求めてるのに、無視するなんて最低だよね。いまほどイジメ自殺が多くない時代だったけど、遺書を書いてたし、あの時死んでおけばよかった。返事はお母さんが代わりに出しといて。ちくわはもう死にました、あなた達のせいで自殺しましたって返事しといて」など、もう止まらない。私はもう自分でも止められず、もっと色んなことを母に伝えた。母の言動で私がこれまでどれだけ傷付いてきたか、とにかく母に怒りをぶつけた。母は文字を打つスピードが遅いので、返信が全く追いつかない。「わからない」「会って話がしたい」これを打つので精一杯らしい。私は諦め、とりあえず同窓会には不参加、そして二度と手紙が届かないよう郵便局で手続きしてもらうことをお願いして終わった。

 

それからの日々、私はずっとモヤモヤとしていた。覚えていないなんて…。でもだったら尚更、私がひとりで我慢していればよかったんじゃ…。私が忘れるよう努力すればよかったんじゃ…。せっかく仲良く過ごせるようになってきたのに。

 

言い過ぎたな、傷付けちゃっただろうな、謝った方がいいなとソワソワした。きっと母は仕事や家事に追われて、子供の対応までできなかったんだ、私にキツく当たるのも精神的に病んでいた可能性もあるし仕方がないんだと自分に言い聞かせ、謝ろうと反省したのだった。しかし、これこそ余計な気遣いであり、精神的に支配されてきたからこその思考なのではないかと気付いた。私は母から受けてきたこと、その事実を伝えただけで、傷付けるようなことは言っていない。責めた言い方はしたが、自業自得。謝るべきは母である。

 

数日経って、私が意味もなく謝るのは絶対に間違っていると思い、母に謝ってくれと謝罪を要求した。「暴言、無視、私へのリアクションのほとんどが舌打ちとため息だったこと、謝ってください。覚えてないなんて言わないでくださいね。」

 

するとその日のうちに「本当にごめんなさい。母親失格だと言われても仕方がないと思っています」という返事が届いた。ありがとうとごめんなさいが言えない大人である母が、初めて私に謝った。いつも他人のせいにして、自分はなにも悪くないとそんな態度でいる母に母親失格だと言わせてしまったことに対して、私は自己嫌悪に陥った。こんな母親とは縁を切ってやると実家にいた当時は思っていたのに、少し距離が出来て仲良くなれるかもしれないと感じ始めてから、自分のドス黒い負の感情を押し殺し、表面上だけ母のテンションに合わせて、機嫌を損ねないように仲良し母娘を演じていたことを後悔した。母は、私が傷付いているとは全く思ってもいなかったのだ。

 

私は、母との関係を良くしようと努めてきたつもりだったが、根本的にはなにも解決していないことが、30歳になってようやく分かった。母は、きっと子育ての楽しかったことしか覚えていないのだろう。私は、楽しかったことは逆にあまり覚えていない。

 

私は全く成長していない。歳だけ取って根本的になにも変わっていない。社会に出てからも、他人の視線や意見を気にして委縮している。母のように、物に当たって大きな物音をたてる人に怯える。そしてそれを母のせいにしている。他人を信用できないこと、自己肯定感の低さを母のせいにしている。これらを改善するためにはどうすればいいのか、全く分からない状態になってしまった。

 

「親は尊敬するべき存在」とよく言うし、確かに産んで育ててくれて、そこは感謝しているけど、だけどそんなのって親の「義務」じゃない?産んだら育てる、そんなの当たり前のことじゃない?ご飯を食べさせてあげているからといって、無視して傷付けていいの?無意味に暴言吐いてストレスの捌け口にしていいの?一生ものの傷がつくってなんで分からないのか。物事の要領が理解できるような大人ではなく、もらったものをそのままの意味で受け取ってしまうような子供に対して。

 

親は絶対的な味方でいるべき。

母から謝ってもらったところで、全くなにも変わらない。謝ってもらったらスッキリ解決するだなんて、心のどこかで絶対にありえないと分かっていたつもりだ。だって覚えてないんだもん。それにたった一言二言で、私がこれまで受けてきた沢山の傷が癒えるわけない。「許してあげる、じゃあこれから仲良くね」なんて、無理な話だ。これ以上どうすれば良いか私には分からない。絶縁するしかないかもと思っている。

 

もう本当に私一人ではどうすることもできないので、過去に苦しめられないようにカウンセリングを受けようと思う。親子関係に特化したカウンセラーさんがいるらしい。もっと早くに知っていれば良かったのかもしれない。